INTERBAND

For Peace-Building&Democratization


■2002年パキスタン選挙監視活動

伝統と近代的民主主義の狭間で

−2002年10月パキスタン選挙監視ミッションに参加して−

清水 麻衣子

はじめに

1999年のムシャラフによるクーデターから早3年、休止していた国会と州議会の再開に向けて、パキスタンは再び「民主政治」を経験しようとしていた。だが、総選挙の日程が近づくにつれて、ムシャラフへの権限集中工作が報告され、果たしてパキスタンが本当に民意を反映した「民主的な」議会政治を行うことができるのか、疑問を投げかける声も多かった。

私が今回のパキスタン総選挙に立ち会う機会を手にしたのは、投票日から数えて約1ヶ月前のことだった。私はそれまで、選挙監視という活動に参加したことはなかった。海外でNGO活動に参加するのも、初めての経験だった。パキスタンと言えば、昨年のアメリカによるアフガニスタン空爆にあたって、イスラム社会とアメリカとの狭間におかれ、世界中の注目を集めた国である。この国にとって、イスラムの伝統を守ることと、アメリカに象徴される民主主義を追求することが、どういった意味をもつのか、それらはどのような関係にあるのか等々、私の興味は尽きることを知らなかった。

以下では、選挙監視活動初心者の私が、現地でどのようなことを見聞きし、そして何を考えたのか、時系列的に報告したい。

ブリーフィングから派遣まで

任地派遣日の前日、今回の選挙監視ミッションを統括するNGO、ANFREL(Asian Network For Free Elections)によるブリーフィングを受けた。今回の選挙監視ミッションを統括するANFRELメンバーとの、初顔合わせだった。午前中は、現地の人権NGO、HRCP(Human Rights Commission of Pakistan)のディレクター、I. A. Rehman氏より、パキスタンの現在の政治状況や政党、選挙キャンペーンの状況、治安等について、説明を受けた。引き続いて午後は、ANFREL事務局メンバーより、国際選挙監視メンバーとしての役割と行動指針について、説明をうけた。

私は、Interbandから今回のミッションに派遣されていたが、現地ではInterbandメンバーから離れて、ANFRELチームに配属されることになっていた。しかし、肝心のパートナーと派遣先は、ブリーフィングが一旦終了した午後4時になっても最終決定していなかった。不安な気持ちのまま、選挙管理委員会へ表敬訪問に向かった。

選挙管理委員会では、私の不安を更に大きくする出来事があった。ANFRELのあるメンバーが選挙管理委員長へ投げかけた質問が、彼の機嫌を損ねたらしく、質疑応答がいきなり打ち切られてしまったのである。その質問は、今回の選挙にあたって新たに設けられた立候補者資格や、選挙管理委員会の存続期間、委員長の任期等に関するものだった。それまでの友好的な雰囲気とは打って変わった厳しいピリピリとした空気に、パキスタンの表向きの顔と本音を垣間見たような気がした。折りしも、EU選挙監視団による、ムシャラフ政権に批判的な内容の中間報告が漏洩し、ムシャラフ政権とEUとの間の関係が緊迫していた頃である。この一件で、私は「招かれざる客」としての選挙監視員の立場を、初めて強く意識したのであった。

表敬訪問が終わり、ホテルに戻って、最終的に私の派遣地が決定した時には、夜の10時を過ぎていた。

任地派遣 − スワビチーム結成

翌日の朝、Interbandチームの11名が北西辺境州のペシャワールへ発つのを見送った後で、私はパートナーと二人で、我々の派遣地、北西辺境州のスワビ地区へと向かった。当初の予定から紆余曲折の結果、私のパートナーは、ANFRELの事務局メンバーでもあるバングラデシュ人の弁護士、アサッドになっていた。彼とは、前日の夜に5分ほど会話した程度だったが、行きの車中でお互いの経歴や価値観について約3時間休みなく会話した結果、かなりの信頼関係を築くことができた。そういう訳で、スワビに着く頃には、私の不安はほとんど消えてなくなっていた。派遣先での数日間、朝から晩までずっと行動を共にするパートナーである。パートナーとどれだけうまくやれるかは、ミッションを成功させられるかどうかに関わる非常に重要なポイントとなる。私の場合は、経験豊富なアサッドは、最高のパートナーだったと言える。

スワビチーム
(左からシカンダー、アサッド、筆者)

任地では、現地のローカルコーディネーターのシカンダーと合流した。彼は、HRCPのメンバーでもあり、スワビで教育NGOの職員として働いている、とのことだった。アサッド、シカンダー、そして私の3名は、お互いの自己紹介もそこそこに、早速、シカンダーからスワビの選挙キャンペーン状況や治安状況等の情報を仕入れ、翌日からの予定を立て始めた。

投票日まで

投票日まで任地で活動できる期間はたったの2日間。この2日間で、担当地域の状況を把握し、投票日当日の重点監視地域の目処をつけなければならない。

1)選挙管理委員、地域調整官へのインタビュー

我々はまず、スワビ地区選挙管理委員(District Returning Officer)、地域調整官(District Coordinating Officer)、そしてスワビ地区警視(Superintendent of Police)を訪問した。我々の滞在目的を伝え、協力を求める為である。彼らはいずれも、「この地域ではそれほど大きな問題はない」と口を揃えて言っていた。しかしながら、ここで一つの気になる証言を得た。それは、

・ この地域では伝統的に女性による投票を禁止してきた。

・ 今回の選挙でも、ある政党のリーダーと立候補者が、女性の投票を禁止しようとしているらしい(どの政党がこれを行っているかは明言を避けた)。

というものだった。これについて何らかの対策が取られているのか、我々が質問したところ、「今のところ何らその件に関して訴えは上がってきていない。もし、何らかの訴えが上がってくれば、対応するつもりだが、公式に何の要請も上がってきていない以上、何の対応も取ることができない。」ということだった。パキスタンの法律の下では、女性へも投票権が与えられている。我々は、女性による投票が阻害されていないかどうかを、監視の重要なポイントの一つにすることにした。

2)政党関係者、立候補者へのインタビュー

引き続いて我々は、政党のリーダーと立候補者を訪ね、インタビューを行った。

スワビ地区には、今回の選挙で競っている主な政党が3つあった。地方政党として支持基盤を確立しているANP、イスラム団体の集合体であるMMA、そしてムシャラフ政権を実質サポートしているPML-Q である。このほかに、個人で出馬している立候補者もいた。

選挙キャンペーンも佳境に入った頃であり、立候補者にインタビューの時間を取ってもらうのは至難の業だったが、どの立候補者も、どの政党も、インタビューには協力的だった。と同時に、インタビューでは様々な主張が繰り広げられ、我々選挙監視員を政治的に利用しようする意図を感じざるを得ないことも少なからずあった。例えば、ある政党のリーダーは、他の政党がいかに彼の政党の政治活動を妨害しているか、我々にまくしたてた。ところが、我々が、「その件に関してスワビ地区の選挙管理委員に訴えたか」と質問すると、とたんに口をつぐむ、といった調子であった。

このような「主張」はさておき、様々な証言から総合すると、スワビ地区の選挙キャンペーンは比較的暴力沙汰も少なく、平和裏に行われていた。と言える。

なお、政党のリーダーと立候補者とのインタビューでは、複数の関係者から次の証言を得た。

MMAのシンボル(本)を掲げた横断幕

・ 宗教政党であるMMAは、政党のシンボルである本のマークを、「これはコーランだ、コーランのために投票を!」と言って、字の読めない有権者にMMAへの投票を強いている。

・ ナジムという、地域の公職に着く人々が、PML-Qに加担し、公職を利用して活動している。

政党関係者とのインタビューでもう一点、特筆すべきは、ANPの女性立候補者にインタビューできたことである。今回の選挙では、女性用の議席が確保されており、比例代表としてリストに名前を載せることにより、各政党から女性議員が選出されることになっていた。私がインタビューした女性立候補者は、今回の選挙を、「若い候補者が増えてきて、政治家の大幅な世代交代が行われている」として、非常に肯定的に受け止めていた。また、彼女の選挙区では女性有権者が投票を禁止されるようなことはない、と話した上で、「今回の選挙まで、スワビ地区では伝統的に女性の投票が禁止されてきた。今回が記念すべき最初の投票になる。非常に楽しみにしている。」と話してくれた。女性が政治活動をすることについて何か問題はないかという私からの質問に対し、「選挙キャンペーンでは、何ら妨害を受けることはなく、むしろ地域の人々が皆応援してくれている」と目を輝かせて話してくれた姿が印象的だった。彼女とのインタビューは、パキスタンの女性と政治のこれからの可能性を感じさせてくれた。

3)地元の人々へのインタビュー

最も難しかったのは、地元の人々への、特に地元の女性へのインタビューだった。地域の政党関係者などから、女性有権者の投票行動への妨害について、様々な証言を得ていた。それゆえ、実際にそうなのかどうかについて、どうしても直接女性へインタビューする必要があった。しかし、これを阻むものが二つあった。一つには、外で女性を見かけることはほとんどなく、女性と話をする機会自体がほとんどなかったことである。二つ目には、地元の一般家庭の女性達はほとんどが、パシュトゥン語しか話さないことである。ほとんどのインタビューでは、ローカルコーディネーターのシカンダーが英語とパシュトゥン語の通訳をしてくれていた。しかしインタビュー相手が女性となると、男性であるシカンダーは、通訳をすることが許されない。そこで、英語のある程度できる親戚の男性が通訳を買ってでてくれるのであるが、そういった環境下では女性の本音を聞きだすことが出来るとは到底思えなかった。というのも、この地方では、伝統的に、女性は家庭の長の支持する政党を支持することになっているからである。

とは言え、シカンダーが努力してくれたおかげで、ある家族にインタビューすることができた。女性へのインタビューなので、家の奥へ通してもらったのは私だけ。しかし、幸運なことに、この家庭の女性達の中に、学校の先生をしている人が2名おり、なんとか英語でコミュニケーションをとることができた。彼女達によると、選挙キャンペーンは今のところ公正に行われており、彼女達の地域では女性も自由に投票に行ける、とのことだった。彼女達のいずれも、投票日が待ち遠しい、ということだった。ところが、自由に支持政党を決められるか、という質問に関しては、彼女達からはっきりとした答えは得られなかった。この家族のうちで私が話をした10数人は皆、PML-Qを支持していた。そしてまた、この家庭の子供たちは、PML-Qのシンボルである自転車の置物で遊んでいた。

4)地元の選挙監視員へのインタビュー

政党事務所へ移動する途中、偶然にも、HRCP選挙監視員のミーティングが行われるという情報を得て、そのミーティングに参加し、彼らにインタビューすることができた。そのメンバーの中に、地域委員(District Councilor)の女性がおり、女性有権者の教育問題について話してくれた。彼女が言うには、「私は、選挙に行くようにと、家から家へ女性に呼びかけてまわっている。私の活動自体は誰からも妨害されることはない。だが、女性の投票行動は結局家庭の長に影響される伝統があり、果たして私の活動の効果があるのかどうか、非常に疑問だ。」ということだった。彼女は、地域の女性の有権者への啓蒙活動がどれほど重要か、またそれがどれほど難しいかを、切々と語ってくれた。

投票日当日

1)投票所で一般的に見られた問題

投票日当日は、朝8時の投票開始より少し前に、Kotha Government High Schoolに設置された投票所に入り、投票箱・投票用紙・インクその他の準備を監視した。ここから我々は巡回監視を開始し、1日で約20箇所の投票所を監視した。どの投票所でも、あからさまな暴力行為や妨害などといった深刻な問題は特に見られなかったが、下記3点の問題は共通に見られた。

投票所入り口に張られたポスター

・ 投票所の入り口にも、その周りにもポスターが貼られていた。場所によっては、投票所の真向かいにテントを張り、各政党が炊き出しを行って、演説をしていた。 (選挙管理委員会が発行した「政党と立候補者の 行動指針」によると、投票所から400ヤード(約365メートル)の範囲では、選挙活動を行ってはならないことになっている。)

・ ほとんどの投票所監督(Presiding Officer)が、担当する投票所の登録有権者数、投票用紙数等を把握していなかった(これらのデータについては事前に書類が配られていたが、投票所監督の中には書類の意味を理解しておらず、選挙監視員に指摘されて初めて気づく者もいたほどだった)。

投票所近くの選挙活動については、誰に聞いても「この地域の伝統だから問題ない」ということで、行動指針に照らし合わせてこのことを問題にする者は皆無だった。実際、投票所近くは、ほとんどお祭りをしているような状態だった。

一方、投票所監督が担当する投票所のデータを把握していなかったことについては、事前の教育が行き届いていなかった可能性が指摘される。

2)特定の投票所で見られた問題

投票所は、男性用と女性用に分かれており、できる限り両方を観察するようにした。この地区では女性がはじめて投票するとあって、大半の女性用投票所は大賑わいだった。

女性有権者が投票を禁止された地区の投票所(Dagai Village Government Girl’s High School)

しかしながらその中で、Dagai Village Government Girl’s High Schoolに設置された女性用投票所には、我々が監視に行った12時過ぎの時点で、誰一人投票に来ていなかった。この投票所に登録されている有権者数は、実に3,498名にも上っていたが、その誰一人として投票に来ていなかったのである。   投票所監督によると、この村の長老達と地域の政治リーダー達が、投票日の前日の夜になってから、女性を投票に行かせないことを決定したらしい、とのことだった。投票所監督は違う村から来た人だったのだが、投票日当日の朝、投票所に来て初めてこの決定を知らされたということで、全く為すすべがない、といった様子だった。この投票所には、各政党から派遣されている女性の政党代理人(Polling Agent)が数名来ていたが、何もすることがなく、手持ち無沙汰にしていた。彼女達に「この決定についてどう考えるか」と質問したところ、「地域の長老達に逆らえるわけがない」という答えが返ってきた。この地域の人々へインタビューを行うことを試みたが、かなわなかった。

3)開票作業

夕方5時前にKotha Government High Schoolに戻り、投票終了と開票作業を監視した。開票作業は、ござの上に円陣を組んで座った投票所監督たちが、票を候補者ごとに仕分けるところから始まった。投票所監督達は、自分の手元で、仕分けした票を一枚一枚繰って数え、数え終わるとお互い交換しクロスチェックしてから、お互い確認しあった票数を発表した。投票所監督達を取り囲むように、1メートルほど背後に政党代理人達が椅子に座ってそれを眺めていた。しかしむろん、これでは政党代理人たちは、集計作業の詳細までは確認できない。このやり方では、投票所監督達にもしその気があれば、何らかの不正をすることが可能なように見えた。我々はこの件に関して、各党の政党代理人たちに、何か異議申し立ては無いか尋ねたが、彼らには何の不満もなかった。

手続き上、正式かつ正確な開票作業ではなかったが、投票所監督も政党代理人もお互い同じ村の知り合い同士ということで、良くも悪くも信頼関係の上に成り立っているようだった。

おわりに

今回の選挙は、全体を通して比較的平穏無事に終わった選挙だったと言えるだろう。しかし法律や規則に従ってすべてが公平に運営されたかというと、あらゆる面において「伝統」という言葉が立ちはだかった選挙でもあったように思う。どのような問いかけを投げかけても、”No problem! It’s our tradition!”という言葉で片付けられてしまった感があった。あえて言えば、伝統もしくは地域の長老達の決定が、法や公正さより重要視されることが多く見られたように思う。

パキスタン入りする際に持っていた数々の疑問は、この短い滞在では解ききれないものが大半だった。我々の監視した地域では、男女共学に反対し、女性が職に就くことに反対するイスラム政治勢力が大きな勝利をおさめた。しかし、今回の選挙で、この地域の女性達がはじめて投票行動に参加し、政治への第一歩を踏み出したこともまた確かである。

この国の民主政治の将来は、短期間の選挙監視で読み解けるようなものではない。民政移管という重要なステップに自らの身を置いた責任を感じつつ、今後も継続的にウォッチしていきたいと思う。

最後に、私に今回のチャンスをくださったInterband、ANFREL、そして行く先々で”It’s Pashtun tradition!”と言って全身全霊の歓迎をしてくれた、協力的なスワビの人々に、心からの感謝したい。

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