岡田 大輔
南アジアの安全保障を考える上で、2001年12月13日のインド国会議事堂襲撃事件がひと つの動的転機だったと考えると、2002年10月12日はむしろ静的、しかしより重要な転機 であったと言える。すなわち、10月10日のパキスタン総選挙の結果発表が予定よりずれ 込み、12日頃ようやくおぼろげに全体像(MMAの躍進)が把握できたのと合わせて、9月 より4回に分けて行われてきた隣国インドのジャム・カシミール州議会選挙の最終結果 (低い投票率とNational Conferenceの敗北)が同時に発表されたことを意味する。パ キスタン総選挙がアフガニスタン情勢と連動しているのであれば、パキスタン対外政策 の基点であるカシミール問題はどうなのか・・・。今回の総選挙の結果、とりわけMMA の躍進がとかくNWFP周辺で増幅する反米感情から解釈されることが多いが、ここではそ うしたこともカシミール問題と絡めて読み解いていきたい。
今回のカシミール州議会選挙の争点はいくつかあったが、特に注目されたのは投票率で ある。それは、「投票率が高ければ高いほどカシミール人がインドの民主主義ないしそ の統治を容認している」とインド中央が伝統的に主張しているからである。例えば投票 率が50パーセントを超えた場合、インド中央としては一方的に、「カシミール住民の過 半数はインドの民主主義を受け入れ、その統治を容認している。だからたとえ国民投票 を約束した1949年の国連決議が現在有効であったとしても、カシミール住民の望んでい ることはこれで一目瞭然ではないか」という具合である。しかしこれはインド中央の勝 手な解釈であり、カシミールのいわゆる「分離主義者」の中にも問題の政治的解決を求 めて今回の選挙に参加した人はたくさんいる。問題がこれほど複雑化した中で単純に、 「州議会選挙の投票率が過半数を得れば国連決議に則り国民投票をしても過半数はイン ド統治を望むだろう」と考えるのは論理的でないし、第一、国際選挙監視員を一人も受 け入れないインドが投票率その他の選挙結果に関して一方的に中立・公正を訴えても国 際的信憑性は得られない。ちなみにインド選挙委員会の発表によれば全体の投票率は4 3%とされているが、パキスタン政府は否定している。
第二の争点は、過去50年にわたってカシミールを支配してきたNational Conference(NC )が再び州議会を支配するかということだった。NCが従来から一貫して主張し続けてい る「自治拡大、それに伴う経済成長」の公約について未だ何も達成されていないことか ら、果たして一般大衆は今日どれだけ本当にNCを支持しているのかという単純な疑問が あった。NCが選挙に敗北するとなると、それはNCと共にカシミールを操作してきたイン ド中央に対する不信をも意味する。それにとどまらず、カシミールにおけるパキスタン の政治的影響力が否応なしに拡大、独立・分離活動が活発化し、それを力で規制しよう にも今までのように自由に人権蹂躙というわけにもいかなくなる。結果としてはまさか のNC敗北、Chief MinisterにはPeople’s Democratic PartyのMufti Mohammed Sayeed が就任し、数々の困難を抱えながらもカシミールの新たな一歩を踏み出した。
パキスタン国内においてどれだけカシミール選挙が注目されていたか、それは地域差も あり一概には言えない。しかしムシャラフが選挙中の9月から10月にかけてカシミール に関して度々発言をしたことに対し、パキスタン各政党はそれぞれの政治的立場を表明 していた。パキスタン国内雑誌Herald(10月号)には各政党(ここでは主なものとして PML-N、PML-Q、PPPP、MMA、ANPを取り上げる)の主張が次のようにまとめられている。 まず、「現在のムシャラフの対インド政策」に関しては各政党が一斉に「不満」を示し ている。唯一ANPはコメントとして、「ムシャラフがクーデター後に表明した対インド 政策のアジェンダは魅力あるものであった(が、911後に彼は急変した)」と付け足し ている。次に、「では政府はどうすればいいか」の設問で3つ選択肢が用意されている 。まず@カシミール戦士たちに対する援助を完全に止める、次にAカシミールに必ずし も限定されない広範な対話を進める、最後にBその他、となっており、MMAを除いて各 政党はAを選んだ。このAという選択肢は極端に言い換えれば、「パキスタンがカシミ ールにてこ入れをするのは黙認するが今のところうまくいっていないからやり方を変え ろ」、ということである。これに対してMMAは唯一Bを選択し、コメントとしてきっぱ り「カシミールの自由を勝ち取るために政府は早急に援助を再開するべきである」とし ている。MMAのこうした際立った姿勢というのが一般大衆にどう受け止められるのか「 反米感情」とはまた別の分野として個人的に注目していた。結果としてはMMAが躍進を 遂げたわけだが、MMAがこのまま順当に政権に絡んでくるとなると対米政策だけでなく 対カシミール政策にも変化が生まれることは必至だ。今回の選挙結果は、もちろん国内 の反米感情を強く反映したことに間違いない。しかし同時に、カシミール問題解決の糸 口を見出せないできたこれまでの軍事政権、またPPPをはじめとするパキスタン主要政 党に対する失望の反映として、唯一カシミール政策において主張を異にしているMMAに 票が流れた、とも言えないか。これについてはいずれ確証すべきであるが、黙っていて もインドとの緊張が高まれば高まるほど正確に、自動的に確証されてくる論題である。
ペルヴェス・ムシャラフにとって、今回のカシミール選挙で得たものの方が相対的にパ キスタン選挙で得たものよりも大きかった。パキスタン総選挙を終えムシャラフは当初 、ある種の自信を交えながら「連立工作には一切関与しない、政党に全て任せる」と明 言していたにも関わらず、PML-Qが躍進しなかったことなどから現在(11月12日)特定 の政党(MMA)と工作まで進めている。しかしながら対照的にカシミール政策において は若干の余裕が生まれ、今は状況が落ち着くまでしばらく様子を伺っている感じだ。逆 にインド中央、特に首相代理L. K. Advaniにとっては、今回パキスタン選挙で得たもの の方が相対的にカシミール選挙で得たものよりも大きかった。パキスタン総選挙でイン ドが何を得たか、となると一見何もないように見えるが、それは何よりパキスタン国内 の一層の不安定化であろう。もちろんMMAの躍進はひとつの脅威ではあるが、ムシャラ フの一連の憲法改正案、それに呼応した政党側の手段を選ばぬ連立工作、こうした動き 翻弄されれば誰でもパキスタン製民主主義には希望を持てなくなるだろう。ムシャラフ は従来からパキスタンにおける「真の民主主義」到来を明言し続けてきたが、結果とし てはパキスタン国民がこれほどまで政治不信を募らせ、それがさらに強まった総選挙は 過去になかった。こうした意味で、ムシャラフにとってもアドヴァニにとっても「内選 挙」では敗れたが「外選挙」では予想外の利を得たと言える。
パキスタン総選挙の結果をめぐり、国際メディアの最大の関心は、「パキスタンに過激 な原理主義政権が樹立されたらこれから先のアメリカ主導のアフガニスタン戦争はどう なるのか」ということである。しかし常にそれに埋もれるかのように存在しつづける懸 案はパキスタンのカシミール政策の再転換である。昨年ムシャラフは単にアフガニスタ ン政策を大転換したわけではない。もうひとつ、常にそれに埋もれがちに報道されたこ とはムシャラフのカシミール政策大転換である。従来のパキスタンの対外政策を振り返 ってみると、ひとつの小さな伝統ともうひとつの大きな伝統があった。前者は言うまで もなくパキスタンの8年間にわたるタリバン支援。しかしこの政策には戦術的合理性は あってもモラル的合理性は脆弱だった。パキスタンは伝統的にムスリム国家であってイ スラム国家ではないし、第一アフガニスタン内のアラブ人躍進には以前から眉をひそめ ていた。一方、建国以来一貫してきたカシミール政策には、パキスタン国家の存続をか けた伝統的な戦術的・モラル的合理性があった。そうした意味で、昨年ムシャラフがカ シミール政策を大転換したこと、つまりカシミール戦士に対するあからさまな援助を初 めて停止したこと、更にパキスタンで活動するカシミール併合主義者をパキスタン史上 初めて取り締まったことは、パキスタン軍部にとってはアフガニスタン政策転換よりも 遥かに甚大な地殻変動であったといえる。それを考えると今回のカシミール選挙結果は 、皮肉にもパキスタンが昨年まで伝統的に求め続けてきた最高のシナリオであった。MM Aが影響力を拡大し、議会を通して最終的にパキスタンの「大きな伝統」が回帰に向か うのならば、てこ入れされた軍部強硬派とムシャラフとの摩擦も生じてくるだろう。パ キスタン総選挙とカシミール州議会選挙、カシミールをめぐる大きな転機をむかえ、ム シャラフは今まさに昨年に続く一大決心を迫られている。