INTERBAND

For Peace-Building&Democratization


■2002年パキスタン選挙監視活動

初めての選挙監視活動

佐伯市児童館 西山 隆

2002年10月は自分の中で一生忘れられない月となった。

元々政治的な活動には関心が薄かった私だが、ひょんなことからパキスタンの総選挙監視に参加できる事になった。この年になると自分の体力的な問題やら能力に対してある程度限界点が見えてくるものだ。それが解っていながら敢えて参加する事にしたのは、好奇心のほうが強かった事と、今あるチャンスを物にしたいと言う欲望に逆らえなかった事が要因だった。

パキスタン航空で北京を経由して10時過ぎにイスラマバードに着いた。初めて見るパキスタンの印象は明かりの少なさと埃っぽさ、それに意外に良く整備された道路と緑の多さだった。

宿舎のホテルに着くときらびやかに着飾った子どもたちがロビーにいる。結婚式に参加している子どもたちで、カメラを向けるとたくさん集ってきた。この子達の家庭は比較的裕福であろうことが想像出来た。

次の日は一日ゆっくりと市内観光に費やした。

2日目、いよいよ監視活動の始まりであるブリーフィングが始まった。アジア各地からこのミッションに参加した人たちが集まっている。自己紹介をした後、選挙法などについての話があった。正直に言って私の英語力ではついていけないのが実感だった。先行きが不安になる。

昼食後、メンバーの岡田君の状態が悪いということで彼の部屋に行った。脱水症状が見られて水分補給などの点滴処置が良いように思えた。そこで伊藤さんと、たまたまホテルに居合わせた現地のジャーナリスト氏と一緒に病院へ向かった。彼がジャーナリストという事は後でわかったことで、当初私たちは彼のことをホテルの従業員と思っていた。病院についてすぐに診察を受けられた。血液検査などの処置をするために緊急病棟のベッドに移る。岡田君は一番奥のベッドの上で、いかにも苦しそうだ。日本では当たり前の事だが、看護婦が女性だったことが何となく不思議だった。この国で女性が主として働いている職場を見たのは、後にも先にも病院だけだった。教育が行き届いているためか、みな英語を理解している。そうして後から岡田君の担当になった医師が女性だったことに驚く。この国で女医になるなんて相当な才媛なのだろうと伊藤さんが言う。

2Lほどの点滴をゆっくりと施し、岡田君は徐々に回復していった。途中で最初に診てくれた男性医師が、杏ジュースとミネラルウォーターを併せて飲んだことが原因のようなことを言った。やはり昨日のあのジュースが原因か?であれば私も危ないはずだが、今のところ何とも無い。

検査結果を受け取りに行くにも、伊藤さん一人では危ないという事で、かのジャーナリスト氏が同行してくれた。今回伊藤さんはショールを頭から被って現地の服装をしていた。その格好で来ていなければ病院内で浮いていた事だろう。それと、ジャーナリスト氏が診察手続きや検査室への案内など、色々と親切に世話をしてくれたお陰でスムーズに診察を受けさせる事が出来た。異国でこのような親切に出会うとたまらなくうれしくなる。

その後しばらくして無事ホテルへ戻った。

夕食を済ませて、ANFRELの事務室にしている一室に20人ほどが集まりミーティングを始める。明日からの行動、場所の事、注意事項などが次々と伝達される。その後インターバンドのメンバーのみのミーティングを別の部屋で行い、夜遅く就寝。

3日目、いよいよ2台のバスに分乗してペシャワールに向かう。ホテル前の道を西へまっすぐに進む。途中のインターを曲がり、ペシャワール街道に入った。デコラティブなトラックが行き交う2車線の道の追い越し車線を相当なスピードですっ飛ばしていく。道路わきをのんびりと往来するタンガ(馬車)、割り込んでくるスズキ(タクシー)、間近に猛スピードで迫る自動車の前を、事も無げに横断していく人たち、けたたましいクラクションの音、ないまぜになった、其れでいて妙に整備されている片側2車線の高速道路?の上をバスは80km以上のスピードで疾走する。

1時間ほど走ったところにインダス川があった。この川を越えると北西辺境州へのゲートがある。そこから2kmほど走ったところにあるドライブインで休憩した。すぐ側をインダス川の支流、カブール川が流れている。河原まで下りて行くと、2,3人の物売りの子どもたちが「おこし」のような焼き菓子を売りに来た。買ってあげたいがお腹のことを考えると、とても食べる気にならないので断る。

周りを見渡すと、堤防などの人工物がまったくない、自然そのままの景色だ。川の水をすくってみた。気持ちが悠久の昔に飛んでいく想いがする。程なくしてドライブインに戻り、チャイをみなで飲んだ。おいしかった。

一気にペシャワールへ向かった。ペシャワールの第一印象は喧騒だった。雑多な市場が両側に広がりその中をタンガ、リキシャ、スズキ、カラフルな乗合バスなどがひしめき合って動いている。常に土埃が舞い上がっていて視界が良くない。程なく目的の宿舎ゲストハウスへ到着した。庭内には、武装警官が1名、自動小銃を持って護衛している。部屋に入ると私はまたもや一人部屋で、ダブルベッドの広い部屋をあてがわれた。昼食を取るために表通りにある広いレストランに全員で出かける。バイキング形式で食事をするが、全ての食べ物がおいしい。昼食後、ペシャワールの選挙対策室へペシャワール組全員で表敬訪問へ行く。前を武装警官のトラックが護衛につく。この地域の選挙責任者からいろいろと話を伺い、ゲストハウスに帰ってから中庭などでゆっくりと時間をつぶす。

夜になって、ペシャワール近郊の村で政治集会があり、見物に行こうとバンに乗り込んで出かけた。30分ほど走ったところにある村の薄暗く細い路地にバンで入り込んでゆく。細い路地の正面に政党シンボルのトラの絵をかざった壇があり、いつでも出られるようにバックでバンを停車させて締め切ったカーテンの隙間から様子を伺う。ストロボを焚かなければ、写真を撮ってもいいだろうと考えて、カーテンを少し開けて写真を撮った。その後坂口氏らが先にバンを降りて観察を始めた。私も後をついて降りて見ていると、前に来るように言われる。断ったが結局壇に近い場所まで行く事になった。壇上にあがるように勧められるが立場上それはまずいとの事で、断ると、傍らに椅子を用意してくれて座れとしきりに勧めてくれる。仕方ないので座って様子を見ることにした。周りを観察すると、インターバンドのメンバーの餅田、中山以外の女性が一人もいない。近くには小学生くらいの子どもまで参加しているが全て男性だけの集会だ。延々とコーランの歌声が響き、少しずつ参加者のテンションが上がっているように見えた。候補者らしき人物が歓声に迎えられて入場してきた。打ち上げ花火が上がり、ボルテージは最高潮になる、はずに思えたが意外と盛り上がらない。いつ頃退却するのか坂口氏に尋ねると後5分くらいと言う。多くの群集で退路が塞がっているので気が気ではなかったが、彼がいうのだから大丈夫だろうとそのまま見物していた。やっと帰ることになり、参加者を掻き分けながらバンまでたどり着き乗り込むと、さっさと出してゲストハウスへ向かった。少し冒険をした気分になった。

4日目、前日の夜、ミーティングで振り分けられた監視活動の場所へいよいよ出発する。私は安藤氏と2名でハイバルエージェンシーへ向かう事になった。コーディネーター兼運転手のオマールとペシャワール市内のハイバルエージェンシーの事務所に出向き、そこで若い護衛警官が同乗した。手に自動小銃を持って私の横に乗り込んだ。ハイバル峠方面へ鉄道が延びている。その鉄道沿いにハイバル街道を西へ向かっていくとバザールの中に程なくエリアが分けられた境界線が見えた。その付近は黄土色の風景の中に土壁の家が並んでいるアフガン難民のキャンプがある地域でもあった。少し行くと北側の広い地域の家がブルドーザーなどで跡形も無く取り壊されている。これ以上アフガン難民を受け入れないというパキスタンの強い意志の現れという。

鉄道の踏切を越えたところにある武装警官が警備しているゲートを越え、干上がった川に掛かる橋を渡ると、荒れ果てた大地が広がる場所に高い塀を廻らした建物が散見できた。塀には銃眼の穴が見える。ここは無法地帯トライバルエリア(部族統治地域)、パキスタンの国権の及ばない地域だ。ジャムルードの街に着く。ここのシンボルになっている石造りのゲートを越えると右手の丘に要塞らしき建物が見えた。バザールがある、賑わった場所にも全く女性の姿は無い。まずはハイバルエージェンシーの支所に出向いてから選挙事務所を訪ねることになった。表には投票箱が積み重ねられて準備が進められている。一通りこの地域での選挙活動の内容を聞いてから、外に出てこの地域から立候補している候補者の選挙事務所に出向いた。真四角の部屋の中に絨毯が敷いていてそこに座ると、安藤氏がインタービューを始めた。その後、この地区の選挙オブザーバーに連れられて近くの投票所の下見に出かけた。どの投票所も学校などの公共施設が充てられている。結構広い敷地内に学校の建物があり、その中の教室が投票所になる。コンクリートの冷たい感じのする殺風景な部屋だった。お茶を用意してくれた老人は部屋に入るとき靴を脱いで入ってきた。身分が違うということなのか。

2箇所ほどのジャムルードの投票予定場所を視察して、ハイバル峠の近くにある投票所の予定地へ出向いた。少し行くといきなり目の前に高い山が現れた。視界が遠くまで利かないので全く唐突に山が現れる。無人に見えたその場所でもどこからかこちらを見ているのだろう、どこからとも無く突然子どもたちが現れて驚かされた。

夜になってペシャワールの旧市街に出かけた。

そこで2階にあるインターネットカフェに螺旋階段を登って入り、友人らへメールを送った。ここのインターネットカフェのコンピューターは日本語のフォントが入っている。阪口氏らが以前に訪れた際に入れていたそうだ。お陰で快適な環境の中でメールを打つことが出来た。終わって出ようとすると、餅田さんが隣に楽器を置いている店があるという。他の人たちと別れて2人でその店に入った。そこにはラバブという弦楽器が置いてあり店の主人(名前がプリンス!)がここは日本人が良く訪れるんだと、ログ帳を見せてくれた。色々親切に説明してくれるが、何せペシャワールの旧市街、隙を見せないように周りを警戒しながら話をする。売り物の楽器は無いのかと尋ねたら、置いていた笛(バンスリ)を持って帰れと差し出された。お金は?と聞くといらないという。餅田さんが信じられないと叫んだ。確かにこの国で、初めて出会った旅人にこれほど親切にしてくれる人に会ったのは驚きだった。

5日目、午前中に安藤氏が他の場所へ行く用事が出来たので、伊藤さんのお供をしてコーディネーターと一緒に候補者へのインタービュー巡りに付き合うことになった。前を武装警官の護衛車が先導する。運転手は警官の護衛付の経験が無いらしく、先導されて他の車などを蹴散らしていくのがうれしくてたまらない様子だ。

最初に訪れた候補者の家は豪邸で、いかにも政治家の家という風情。前庭で候補者のお父さん(彼も以前は議員をしていたという)にまずインタービュー開始。それから程なくして、候補者本人が現れて別の部屋に通され、そこでインタービューをする。帰りがけに、彼らから明日の選挙はこの国では何が起きるかわからないから、護衛がついていても身辺に気をつけるように言われた。その後原理主義政党の候補者の事務所を訪れた。さっきの候補者の家とは違い、大通りから一歩入った場所にある質素な土作りの家が彼らの選挙事務所だった。候補者は伊藤さんが女性ということで握手は拒否する。本人は英語をしゃべらないために側にいた若い支持者が話をする。しかしその態度は温厚で、立候補した経緯や意義を親切に話してくれた。彼らの言葉の中から9.11同時多発テロは自分たちも被害者なのだという事、誤解を解いて欲しいという事が多く聞かれたと伊藤さんから聞いた。

その後パールコンチネンタルホテルに出向き、首藤議員とロビーで出会った。明日の予定について安藤氏も交えて打ち合わせた。その後、ハイバルエージェンシーへ首藤議員と向かう。途中のレストランでオマールと3人で食事をした後(護衛の警官は外で待機している)、ジャムルードに入る。まず昨日下見をした学校に行った。それから別の近くにある高校まで車で向かった。降りようとすると少し待てという。近くにピストルを持った人間がいるとの事を議員から聞いた。ちょっと間を置いて学校の中へ入る。現場の人から一通り説明を受けた。それから昨日行かなかった道の反対側にある学校へ歩いて向かった。本通りの裏側にある学校前の景色は荒れ果てて、どこまでも広がっていた。

夕方宿舎に帰ると表にパキスタン軍の兵士が来ていた。今日のムシャラフ大統領が演説の中で選挙監視団の身辺の安全は保障すると表明した事への対応という事だった。

ゲストハウスに戻って休もうとしたら猛烈にくだし始めた。トイレとベッドの往復を何度となく繰り返し、朝方トイレットペーパーが心細くなってきた。薬も結局抗生物質のほうが効いたようで、ペーパーが無くなる前に何とか収まってほっとした。

6日目、朝方まで続いた下痢のお陰で眠い目をこすりながら、8時前にPCホテルのロビーに出向き、首藤議員と待ち合わせた。早速、議員とオマールと共に昨日下見をしていた市内の投票所の一つに出かけた。まだ投票開始前なので静かだった。準備は整っているようだった。投票前から来ている人は皆無だった。EUからの監視団も来ていた。そこを一通り見てから、いよいよハイバルエージェンシーへ向かう。途中境界線でパキスタン軍の護衛がつく為の引継ぎで待たされる。少し緊張してきた。私たちの乗った車の前をトラックの上に軽機関銃を装備した武装車が先導し、後方をジープが付いて出発した。次にある警察のゲートはフリーパスで通過。最初に昨日見たバザール横の学校に出向いた。地元のメディアが首藤議員にインタービューする。投票所の前は投票に来た人でごったがえしている。群集を掻き分けながら投票所にはいる。各政党のオブザーバーが並んで座っている。一人一人と握手して、投票の様子を眺めた。一通り見てから外に出る。オマールが昨日行けなかったシャヒードミーナ村の投票所へ行くかと聞いてきた。一昨日から絶対に不正が行われると言われた投票所なので行くよと伝える。ここからは先導する武装トラックと7名ほどの兵士と共にシャヒードミーナ村に向かった。ジャムルードの大通りから右に折れて北に向かう。少し行くとそれまでの荒れ果てた印象が無くなり緑の多い農村地帯が広がった。しばらくすると山道に入る。アスファルト舗装はされているが一切ガードレールは無い。その道を60km以上のスピードで疾走する。荒れ果てた岩山を削って作った道をどんどん登っていく。比較するものが無いので広大な景色のはずだが広さや大きさがよく解らない。しばらく登っているとオマールが小用のために停車した。前のトラックも停車する。パキスタンの男性は小用を座ってする。兵士たちがそれぞれ皆座って小用している様は私たち日本人から見ると滑稽で思わず笑ってしまう。

再び走り出す。峠を越えたところで谷に部落が見えた。岩山の上を頭に荷物を載せた女の人が軽々と、そう、まるでカモシカの様に歩いていくのが見える。こんな荒れ果てた土地で何を生計にして暮らしているのか。その部落が目的地かなと思っていると、そこを通過して谷を越えて再び登り始める。ジャムルードを出発して、かれこれ1時間以上走っている。眼下に大きな河が見えてきた。カブール川だ。景色はすばらしい。とても日本では見ることの出来ない景色だ。

少し奥まったところにシャヒードミーナ村の投票所があった。車から降りると、ジャムルード同様、男たちが多く集まっている。彼らの鋭い視線を感じながら、その横を通って投票所に入る。周りを武装した警官が警備している。この事自体民主選挙からは程遠い。まず女性の投票所に入った。5名ほどの女性がスタッフとしてそこに居た。2名は政党のオブザーバーらしかった。しかし彼女たちだけで投票に訪れた女性が一人も居ない。どうしてか尋ねると、男性とは時間に差をつけて投票に来るという事だった。投票人名簿を見ると、必要なIDカード(身分証明)を取得している人がほとんど居ない状況で、投票できる人が居るとは思えなかった。ここの女性は自分で話し(通訳付だが)私たちに説明してくれていたが、パキスタンに来て女性が公の場所で顔を隠さず喋るのところを初めて見た。それから隣の男性側の投票所に入った。念入りにそこに居る人々と握手を交わす。投票の経緯などを丹念に聞く。中の様子は他の投票所と変わらない様に見えた。写真を撮ってよいか尋ねるとOKとのことなので、首藤議員と一緒に記念写真に収まった。しばらく見学していると、お茶を出すから待てという。首藤議員がこちらでは食事は断っても出されたお茶は断ってはいけないと教えてくれて待つことになった。しばし待たされて烏帽子の外れたヤカンに入ったグリーンティーが運ばれてきた。カップに注いでくれたそれは紅茶の色を薄くしたような色をしていた。いただくと、砂糖の入ったその味はおいしく、思わず3杯もお代わりをしてしまった。回りを見渡しても岩山ばかりの燃料も水も満足に無い場所で、温かいお茶を振舞ってくれる事が、彼らにとって精一杯の歓待の気持ちの表れなのだろうと思うと、こんな辺境でお茶をいただくことへの感謝の念は一層増してくる。何故か能楽の「鉢の木」が想い出され、一生忘れられない味となった。

礼を言ってまた全員と握手してからお暇する。外に出ると投票を待つ人々が門の外まで溢れている。兵士に守られながらその側を通り車の所まで上がっていく。写真を撮ろうと振り返るとまたしても人々の鋭い視線に一瞬怯んでしまった。それでもかろうじて1枚写真を撮った。それからもと来た道をジャムルードへ引き返した。一生この場所を訪れる事は無いと思うと真剣にこの景色を目に焼き付けた。

ペシャワールに戻ると朝方訪れた投票所へ行った。思ったよりも投票率が悪いようだ。むしろトライバルエリアの方が女性を除けばはるかに良い。10%も満たない投票率に今回の選挙の、国民の関心度を見る思いがした。その後近くにある女性の投票所に歩いて向かった。周りをパキスタン兵が護衛する。もうこのシチュエーションにも慣れてしまった。その隣の学校にある投票所に入ると中は2箇所に分かれていた。地区が違うのだろう。そこでは女性たちが投票していたがやはり少ない。ここでも投票率は悪そうだった。

首藤議員は明日からの国会に出るためにホテルへ戻り支度をして、慌しくイスラマバードへ向かった。

私は安藤氏と旧市街の投票所へ向かう。伊藤さんや餅田さんらと再会して、女性の投票所へ入った。これまでの比較的のんびりとした感じではなく、表も中も何か騒然としている。投票所の外でも群衆が騒いでいる。彼らは投票に来た人たちではなく投票の様子を見に来た人たちという。しばらくそこを見た後、別の投票所へ移動した。表の道路にはたくさんの人がたむろしている。比較して中は静かだ。少し蒸し暑さを感じた。夕方5時投票は終わった。しばらく開票作業が始まるまで待った。その間に警備してくれている警察官のサンタクロースのような風貌をしたチーフと話をする。彼の目は本当にやさしい。彼にいわせるとこの国の警備能力は世界で三番目だそうだ。一番はアメリカ、二番は聞き取れなかった。で、三番目がパキスタンということだった。彼に、この国の人々の能力は高いものがある、もしその力を破壊ではなく生産に使ったらすばらしい国が出来るのになと言ったら、うれしそうな顔をして「そうだ、その通り!」と力強く答えた。本当にそう思う。子供たちの目の輝き、力強さが日本で見られるものと違うこともそう確信させる。

開票作業が始まった。女性たちがいっせいに投票箱を開けようとしたが、開かずにコーディネーターのオマールが手伝ってやっと蓋が開いた。これ自体もおかしな事だ。開けてみるとやはり中身の投票用紙は少ない。思わず開票作業を写真に撮ってしまった。女性たちの間からブーイングが起こる。慌ててカメラを隠した。

あっと言う間に開票作業が終わった。1枚の藁半紙のような粗末な紙に手作業で集計して結果を出している。まるで小学校で学級委員の選挙をしている様を見ているようだった。 7日目、昼前に出発する。オマールらと別れの挨拶をし、記念写真を一緒に撮った後、バンで出発した。この3日間警備をしてくれた警察官らは自分の管轄内の端まで先導して警備をしてくれた。その後、別の警備する車が先導してくれる。これで、ペシャワールで献身的?に警護してくれた警官たちとお別れだ。少しセンチメンタルな気分になった。

マルガラモーテルへ到着した。すぐにリブリーフィング(報告会)が始まった。私は一番手で安藤氏と2名で行う。と言っても、発表は安藤氏にお任せなので気が楽だった。ただ、途中スムスリからトライバルエリアの一番辺境まで行った感想を求められたが、この中で発表するには私の英語力ではどうもと思い、たいした感想は無いと答えてしまった。

次々と発表が行われた。他のグループはさすがにたくさんの投票所を回っていた。

どの投票所においても、不正は行われていた。しかし不正と言うよりもむしろ選挙自体に慣れていないための不備な行動が目立ったと言ったほうが正しいのかも知れない。この結果をどうこの国の民主化に反映する事が出来るのかまだ解らない。世界の趨勢、又は文明と言うのは、必然を以って途上国と言われる地域に覆い被さるものなのだろうか。新たに疑問が湧く。その国の持つ独自性(独立性)の中で、グローバルスタンダード的な民主化が急務と解ってはいても、あのハイバルエージェンシーの太古から変わっていないような民衆の生活ぶりに、変革の根本的な難しさを感じてしまった。

最後に、足手まといになったこととは思いますが、このような機会を与えてくださった首藤議員をはじめ、阪口、安藤両氏と伊藤さん、玉木君らインターバンドの仲間に感謝しています。

ありがとうございました。

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