INTERBAND

For Peace-Building&Democratization


■2001年コソボ議会選挙

コソボ議会選挙の意義と課題

安藤秀行(インターバンド・プロジェクトコーディネーター)

11月17日旧ユーゴスラビア連邦コソボ自治州において1999年の紛争後初のコソボ全体レベルでの総選挙がおこなわれた。この選挙にたいしてはインターバンドから4名が欧州評議会(Council of Europe)の組織した国際選挙監視団(Council of Europe Election Observation Mission II: CEEOM II)に参加し、選挙当日の投票所での投票、そして開票過程の監視活動をおこなった。監視活動の概要、評価に関しては本号の阪口による章があつかっているのでそちらを参照していただきたいが、ここでは今回の選挙はおおむね成功であったと報告されていることだけに触れておく。目立った大掛かりな不正工作、脅迫行為もなく、また選挙運営自体も予想以上にスムーズに行われた。OSCEの選挙担当ディレクターのアーデン氏は選挙を評して「私のもっとも楽観的な予想を上回るものだった」とのべ、CEEOMIIの選挙後のレポートも昨年の選挙と比較して「より平和的な環境でおこなわれた」と結論している。

選挙

今回の選挙自体の争点はある意味非常にわかりやすいものであった。選挙戦には26の政党、団体、個人が参加したが、中心となったのは昨年の選挙での上位3党、穏健派イブラヒム・ルゴバ率いるLDK、旧KLAハシム・タチを推すPDK、同じく旧KLAのラムシュ・ハラディナイのAAKである。ところがその3党の掲げる政策綱領には実のところ現実的な違いはほとんどなく、結局のところ本当の争点というのは「だれにコソボを、(あるいはコソボ・アルバニア人を)代表する資格があるのか」という正統性をめぐるものであった。その上昨年の選挙で大勝したLDKの優位はかわらず、今回もやはり第1党となることが事前から予想されていた。こうしたことを踏まえた上で、各政党の得票率がどの程度変化するか、それによって昨年の地方選挙以降に各政党への支持がどの程度変化したかを見るのが今回の選挙であったといってよいだろう。

もう1つの注目すべき点は今回参加を決めたセルビア人の動向であった。今回の選挙にあたってコソボ在住、あるいはセルビア本国、モンテネグロで国内避難民となっているセルビア人のうち多くは事前の選挙人登録をおこない、またセルビア人政党は連合政党をつくるなど選挙に参加できるいちおうの体制は出来上がっていた。しかし実際にセルビア人有権者が投票に参加するかどうかをめぐって直前までもめ、UNMiKがセルビア本国のコスタニッツァ政権から選挙への協力(セルビア人に投票するように呼びかけ)を取り付けたのは実に投票日のわずか2週間前であった。セルビア人有権者の投票率と、その結果セルビア人政党がどれだけ議席を獲得するかもコソボの将来を占う重要なファクターと位置付けられていた。

開票の結果はLDKが得票率45.65%でトップ(議席47)。PDKが25.7%(同26)、AAKが7.83%(同8)。またセルビア人の政党連合(Coalition for Return、セルビア語での略称:KP)はセルビア・モンテネグロにおける在外投票での圧倒的な得票で11.34%を獲得、すでにリザーブされていた10議席とあわせて22議席となり一躍第3政党となった。

2001年コソボ選挙の意義・問題点

それではコソボにおける今回の選挙がコソボの紛争からの復興、あるいは民主化のプロセス全体において意味するところはどのようなものなのであろうか。紛争後の国・地域に国際社会が介入して戦後処理を行う場合、選挙はその総仕上げを意味するようにとられることが多い。しかしコソボではそれは当てはまらない。

紛争後のコソボにおける国連による統治、そこで進められるさまざまな政治プロセスは全て国連安保理決議1244をもとにしている。決議の第10項はUNMiKの任務を「コソボの住民が旧ユーゴ連邦内での実質的な自治を享受することのできる暫定統治をおこなうこと。またその間にコソボの全住民が平和な日常生活をいとなむことを保障する民主的暫定自治組織を設立し、監督すること」とさだめている。さらにこの決議にはこの目標を達成するためのプロセスのアウトラインもすでに示されていた。

第一段階:民主的で自立的な自治政府のための暫定的行政機構の設置(含む選挙)およびこれらの監督。
第二段階:これらの暫定行政機関への権限移行
第三段階:コソボの最終的地位を決めるための政治対話の促進
第四段階:暫定行政機構から政治的合意により設置された統治機構への権限移行

いままでのところUNMiKは少なくとも表面的にはここに示されたプログラムを着実に、そしてある程度成功してきたといってよい。成功とみなせる第一の理由はUNMiKの強力な権力を活用して政治体制の再建が急ピッチですすめられたことである。(もっともそれがはたして民主的か、という別の重要な問題も同時に提起することになるが。)紛争終結6ヶ月後の1999年12月には早くも統合暫定行政組織(Joint Interim Administrative Structure)を設置してコソボ現地の政治指導者が行政に参加する枠組みをととのえ、2000年の選挙では地方レベルでの、そして今回の議会選挙ではコソボ全体レベルでの行政組織を再建した。また第二の理由は過激派とみなされた旧KLAをあるいは政治の表舞台から排除、あるいはより穏健な政党の形で政党政治システムに組み込むことに成功したことである。旧KLA系の政党が分裂し、昨年と今年の選挙両方で穏健派が勝利したことはコソボの住民の選択であったとはいえ、いまだ強硬な民族主義政党が選挙で優位にたつボスニアに悩む国連にとってこれは望外の成功であったといってよいだろう。

しかし今回の選挙はまだ全てのプロセスの前半、第一・二段階を終えたに過ぎず、このあとには第三段階、すなわちコソボの最終的な地位に関する問題がひかえている。言うまでもないがこれこそがコソボ問題の本質であって、かつもっとも厄介な問題である。そしてこの問題の解決に向けての試みは残念ながら過去2年間ほとんどなされていない。国際社会、具体的にはヨーロッパ諸国、NATO、アメリカはコソボの早期の独立に対して一貫して否定的であり、事あるごとに決議1244がコソボの独立を承認したものではないことに言及してきた。今回の選挙直後にも各国はコソボの即時独立に否定的なコメントを次々と発表している。

ヨーロッパ諸国は伝統的に国境線変更を認めたがらない傾向があるが、現状ではコソボの独立をさらに難しくしている現実的な問題が存在している。第一は隣国のマケドニアである。アルバニア系・スラブ系住民の紛争は沈静化したとはいえ、根本的な解決にはまだ程遠く、来春に再燃する可能性は存在する。現実政治の観点からいってこの時点でバルカン諸国の国際関係を一変させてしまう「コソボ独立」を口にするものはいないであろう。またコソボのもう1つの大きな課題であるセルビア系住民の帰還問題もまだ解決の糸口がつかめていない。紛争後の3ヶ月だけで約20万人にのぼるセルビア人がセルビア本国・モンテネグロに流出し国内避難民(IDPs)となったが、2年後のいまでも彼らがコソボに帰還できる見込みはたっていない。この二つの問題の解決への道筋がつくまえに国際社会がコソボ独立問題の解決にむけて動きはじめる可能性はほとんどないといってよいだろう。

しかしながらこうした見方はコソボ・アルバニア人の見方とは一致していない。さきに選挙は紛争処理の最終段階というイメージがある、と述べたがまさに当のアルバニア人がそのように考えていた、あるいは考えようとしていたといってよい。今回の選挙戦においてアルバニア系各政党は一様にコソボの早期の独立を公約に掲げた。元来から過激派とみなされてきた旧KLA系の政党(PDK, AAK)だけでなく、穏健派のLDKも昨年の選挙からコソボの独立を党の目標にして有権者の支持の確保を図っている。 実際に今回の選挙でのLDKポスターはまるで民族主義政党かと見まがうばかりアルバニア色を前面に出したのものであったし、ルゴバ党首の勝利後の第一声はコソボの独立に関するものであった。アルバニア系住民には1989年の憲法修正により失うまでの15年間の自治州としての歴史、そして1991年の独自の住民投票による独立宣言をはさんでセルビア治安警察による弾圧下で自治組織を組織・維持してきた経験がある。独立への願望は自信と根拠のないものではない。

実のところ今回の選挙で成立した議会に独立問題を討議する権限は与えられておらず、そうした際には国連代表が議会を解散できる権限を行使することができる。そのため法律的にはコソボ独立問題を回避することは可能である。しかしそれでアルバニア系住民が納得するとはとても考えられない。今回の訪問では「重要事項の決定権は全てUNMiKに握られてしまっている。自治政府なんて名ばかりだ。」という不満を聞いた。こうした不満は初めてではないが、今後はコソボの住民は直接投票で選ばれた代表機関をもつことになる。かれらがそのまぎれもない正統性をてこにして国連機関と対決姿勢をとるのか、それとも協調的な関係を築こうとするのか、これからの1年間は最初の1年におとらず非常に重要なものになる。

結論

今回の議会選挙はコソボ紛争後初の全コソボレベルでの民主的な選挙でありそれによってコソボの住民を代表する機関が誕生したことはそれ自体たしかに大きな意味がある。しかしながらそれによってコソボの戦後処理の大きな山を越えたということはできない。なぜならばコソボの独立問題に何も解決が図られていないからである。そして国連のコソボ・ミションの成否はまさにこの点にかかっているといってよい。このような背景で行われた選挙によってセルビア人政党が第3勢力になったことは非常に重要である。コソボ問題とはすなわちアルバニア人・セルビア人の関係の問題であり、セルビア人が幸運にも手にした政治的パワーをいかにアルバニア系住民とセルビア系住民の建設的な関係の構築に使えるかにコソボのこれからがかかっているといってよいだろう。

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