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■2002年東ティモール大統領選挙

東ティモール大統領選挙監視リポート

佐々木 心(立命館大学国際関係学部、アフリカ平和再建委員会インターン)

東ティモール大統領にはシャナナ・グスマオ氏が就任することが確実となり、2002年5月20日、主権が国連から東ティモールに移譲され、東ティモール民主共和国が誕生する。黄(植民地主義の傷痕)、黒(蒙昧主義の克服)、赤(解放闘争)、白(平和)からなる国旗には、過去の歴史が刻み込まれている。ポルトガルによる植民地支配、日本による支配、そしてインドネシアによる併合、と支配され続けた歴史の中、何人の尊い命が人間によって奪われたのだろうか。

この独立までに多くの犠牲を払った東ティモールに今回行ってみて、私なりに感じたこと・学んだこと等を中心に報告したい。

1.4月14日(日)大統領選挙の日

私は、ディリ市内と、隣接するリキサ県における投票所において選挙監視を行うチームで活動した。数日前にIEC(独立選挙委員会 )のオフィスを訪問し、セキュリティーに関しては何も問題はないと伺っていた通り、当日の投票所において緊迫感を感じることはなかった。99年の独立住民選挙・そして昨年の制憲議会選挙と比べて、緊張感というのは和らいだ、と昨年ミッションに参加されていた方からも伺った。

投票所では、投票者が入室してから、投票者の確認の手続き・投票用紙の受け渡し・記入・投票箱への投函・そして最後に、二重投票防止の為にする右手人差し指へのインクつけ、という一連のプロセスがあり、混雑している投票所における若干の不手際以外、非常にスムーズに行われていた(選挙監視についてはUNDPが担当)。淡々と、投票が進んでいった。投票締め切りの時間内にすべて終了し、その終了の手続きまで監視した。すべてが順調にいっているように見え、業務が終了した後のスタッフたちの顔色は安堵に満ちているようであった。

また、投票所では多くの現地スタッフの方々が働いていた。UNDP主催のブリーフィングにおいても、独立した後の自分達の手による選挙運営への意気込みを話されていたのは、非常に印象的であった。今後の選挙の運営において、現地スタッフだけで実施するのにはまだ時間が必要、という声も多く聞いたが、今ここにこうして、自分達の国をよりよくしていこうといている人たちに出会えたことは、私としては衝撃的であった。それは、課題は山積みではあるかもしれないが希望を持って行動し、社会を築いていこうという強い思いであった。それは、次に書くシメヌス氏との対談の中で感じるものと同じであった。

2.キリスト教民主党党首シメヌス・アントニオ氏(元シャナナ氏の秘書)との対談で

シメヌス氏は明るくて魅力的な方で、非常に真剣に話をされた。彼との対談の中ではなによりも、彼が、祖国である東ティモールを愛しているという心を非常に感じたということである。また、すべてがないないづくしである、と話されてはいたが、これから自分達の国をよりよくしていこうという意気込みを語られていた。その表情には、穏やかではあるが揺ぎ無い信念を感じた。

UNTAET(国連東ティモール暫定行政機構)が任務を終え、東ティモールを去った後、平和再建としての国づくりにおいて、果たしてどういうプロジェクトを展開するべきか。現在国連職員などを対象に増えた仕事である、タクシードライバーやホテルのスタッフ、通訳などの仕事の需要が、今後減少していくことによって、職を持たない人がさらに増える事になる。個々人が経済的な自立を図る事ができなければ、治安の悪化や対立の表面化なども起こりうる。シメヌス氏は、そのためにも教育と同時に、職業訓練のプロジェクトが必要となり、収入の安定化が必要である、と話されていた。

また、東ティモールの平和再建において重要となるのは、和解への取り組みであろう。社会への再統合と密接に関連しあうこの問題は、非常に繊細であり、かつ緊急性も要する課題ではないだろうか。しかし、生活の営みとしての経済的自立と同じように、住民間の和解がなければ、次なる対立の芽を生み出してしまう。紛争予防行動として、紛争の再発を防ぐ為の重要な取り組みの一環であろう。シメヌス氏の話によると、難民帰還の為にはまず、当事者である元民兵に、自分が行った行為について告白させることが必要だという。そして、第三者がそれぞれの村に行き、元民兵の人が村へ戻った際、村人達は受け入れるか否かについて、村人達とじっくりと話し合いをし、その後帰還させるかどうかを決めるというものだ。

一つの事件が、次の事件を引き起こすことがないようにする為にも、対立の状況を和らげていかなくてはならない。このような取り組みは現在東ティモールにおいて試みられている 。この課題は、非常な根気強さの元であっても多大な時間を要するかもしれないが、日本をはじめとする海外からの知恵の結集によって成果をあげられる分野ではないだろうか。

3、ナショナル・ホスピタル・ディリへの訪問

今回、ミッションの活動とは別に、ディリ市内にある病院を訪れた。なぜなら、今後の東ティモールにおいても、一体どのような問題を市民の人たちは抱えているのか知りたかったからである。

東ティモールには現在、手術ができるような大きな病院は二つしかないという。その一つであるディリ国立病院は、非常に広くて建物もきれいだった。しかし医者の数は全く足りていないという。ここでは、1人の日本人女性が産婦人科の医師として働かれており、その方に産婦人科の話を伺うことができたので少し報告してみたい。

@ディリ国立病院では、現在1ヶ月に150〜200人の新生児が誕生している。東ティモールでは、出産の一割が帝王切開であり、乳児死亡率も高い。またここでは、高血圧による妊娠中毒症が非常に多いという。東ティモールでは塩分の多い食事が多いこと、それに加えて、母親の、減塩食が予防策とであるいう知識不足も確かに原因であろう。それに加えてここでは、栄養士が1人もおらず、正しい食事の摂取によって防げる病気も、防ぐ事ができていないのが現状である。

Aまた、子どもの栄養失調が非常に多いという。

Bドメスティックバイオレンスや、子どもに対する性的虐待なども少なくないという。  東ティモールでは、インドネシア統治時代、政府が、1家族当たり子どもは2人までと定めており、UNTAET管理下に入ってからそうした制限はなくなり、平和になった安心感も重なって、出生率が急激に上昇したという。しかし一方で、出産ブームに医療体制がついていっていない のが現状であるという。これは今後、非常に重要な課題の一つであると思う。

最後に、ここで働かれていた日本人女性医師の方に、今日本の人に伝えたい事は何であるかと質問をすると、こうおっしゃった。「日本では大量の食糧が捨てられているのに、ここでは食べる事ができずに死んでいく。ご飯を捨てないということが直接、問題を解決するわけではないけれど、そういう国が、そういう状況があることを思い出して欲しい。」と。

おわりに

今回のミッションで、選挙監視のボランティアとしてどれだけ東ティモールの人々の役に立てたかというより、私自身考えさせられ、学ぶことが多かった。東ティモールに行って、素直によかった、と思える理由を稚拙ではあるが明記しておきたい。

現代、私たちの国である日本においては、日々、世界で起こっている紛争や虐殺や飢餓などニュースが次々と耳に入る。いわゆる情報のグローバル化は、いい意味で国際世論を形成しやすくなるのかもしれない。しかし、常日頃私が違和感を覚えていたのは、そうした奪われてゆく命に対して、日々鈍感になり、そのような「ニュース」にも慣れていってしまっているのではないか、ということであった。現実に自分の目の前で起こっている事象が、「ニュース」として捉えられるに留まること、それはある意味非常に残虐なことではないだろうか。しかし今回東ティモールへ行って、自分の目で見て、人々と触れ合うことで、改めてそういった危機感を再認識することもできた。それと同時に、東ティモールという、新聞やテレビでの「ニュースの世界」であった国が、自分に近づいた感じがしている。この感覚は言葉で表現しにくいが、これは私にとって非常に貴重な経験であり、またいかに自分が先入観を持ち、偏った見方をしているかがよく分かった。また、「国際関係学部」で学ぶ「大学生」としていろいろ考えさせられることが多かった。私は食物栄養学科で栄養士の免許を取得した後、国際関係学部に編入学したわけであるが、現場で必要とされる人材は即戦力となるようなスペシャリストたちであった。自分の無力さ・無知さに意気消沈している間もなく、社会はひたすら動いていた。自分は、どのような分野で、必要とされる知識や経験を積み、協力できるのか。また、国際協力といわれるような仕事の、まさに現場を見る事ができて、大学では知る事の出来ないような現実味を感じることができた。ニュースで流れる出来事は、現実に今まさにその人の目の前で起こっている、という事実である。私は、ここへ来るまで、どれほどの悲しみと憎しみを背負い、疲労した人々がいるのだろうと思っていた。そうした側面を合わせ持ち、本当は癒えない傷を抱えていたのかもしれない。だが、私が出会った彼らには本当に励まされ、元気付けられた。選挙監視として行ったはずが、心のパワーを貰ったのは私の方であった。今後、自分はどう行動していくか、考え、見極めていきたい。

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